しまなみ海道の自然をディープに楽しむ
地学好きスタッフが読み解く
大地と海と人の営みの物語
しまなみ海道の自然をより深く知りたい方へ。地学好きスタッフのマニアックな視点から、花崗岩の島々の成り立ち、来島海峡の潮流と生態系、瀬戸内の製塩の歴史、今治タオルを生んだ伏流水まで、「水」をキーワードに地域の自然と産業のつながりを解説します。
⚠この記事は文献・現地調査をもとに解釈したものです。
作成:2025.12.10
最終更新: 2026.4.6
作成・文:村上雅之
地学好きスタッフが文献調査から読み解く「自然と人の営み」
しまなみ海道、大地と海と人
「景色がきれいですね」「食べ物が美味しかったです」しまなみ海道をサイクリングしてきたゲストさんから、毎日のようにそんな感想を聞かせてもらいます。もちろん、それ自体は最高に嬉しい言葉です。ただ、大学時代に地球科学を専攻した一人の人間として、どうしても気になってしまうことがあります。「なぜこの景色は、こんなにも美しいのか」「なぜこの海の魚は、こんなにも旨いのか」。その「なぜ」を掘り下げていくと、しまなみ海道という場所の面白さが、まったく別の深さで見えてきます。

この記事は、しまなみ海道でサイクリングガイドを務めるなかで、自分自身の興味として「この地域の自然と人の営みの全体像」をつかもうとした試みをまとめたものです。地質学・地形学・海洋学・生態学・歴史学など、さまざまな文献を当たり、現地調査もやってみました。「キーワードは水だ」という気づきに至るまでの経緯も含めて、お伝えできればと思っています。
橋の上から眺める島々の形、塩田跡地に変わった海岸線、来島海峡の鯛が旨い理由——それらはすべて、億年単位の地球の営みと、何百年もかけて積み重ねてきた人の知恵の産物です。「ただ走り抜けるだけ」では見えない景色が、この記事を読んでから自転車に乗ると、きっと見つかるはずです。
1. 花崗岩が作った島々の風景
しまなみの島々のなりたち
9400万年前のマグマ
🪨花崗岩でできた島々
しまなみ海道の島々、そして四国側の入り口となっている今治市のある高縄半島。この一帯の地質を調べると、ほぼ一面が「花崗岩」という岩石で覆われていることがわかります。花崗岩は、地下深くで冷えて固まったマグマ(火成岩)の一種で、御影石という呼び名の方が馴染みがある方も多いかもしれません。

しまなみ海道や今治・尾道は、日本最大の大断層である中央構造線の北側の「内帯」と呼ばれる地域に入っています。西南日本はこの中央構造線を境に、南側と北側で全く大地のでき方が異なることが知られています。

・内帯(北側):マグマそのものや熱の影響を受けた岩石がメインのエリア
・外帯(南側):プレートでぐいぐい圧力を受けた岩石がメインのエリア
この地域の花崗岩は、領家花崗岩と呼ばれる岩石で、日本列島の形成史を研究するうえでも重要な対象として研究が進んでいます。およそ9400万年前にマグマが地下深くで冷えて固まった。その後、1400万年前ごろの造山活動によって隆起してきたと考えられています。ちなみに、日本列島のおおまかな形ができたのも、だいたいこの頃です。

地質図(植物や建物、表土を除いた地表面の岩石分布を色分けした地図)で見ると、しまなみ海道エリア一面が桃色〜赤色系の色、つまり火成岩を示す色で塗られています。本州の広島県方面まで、ほぼ同じような地質が続いていることもよくわかります。ひとつながりの岩盤の上に、島々が点在しているイメージです。
大島石が生まれる理由
🪨サイクリングでも感じる石の存在感
花崗岩の産地として、しまなみ海道を旅する人なら一度は目にするのが大島の採石場です。大島・カレイ山周辺に広がる採石場では、「大島石」と呼ばれる花崗岩(正確には花崗閃緑岩)が採取されています。風化が少なく、石材として加工しやすい品質の高い花崗岩が産出するため、墓石や建築材として全国的に有名なブランドになっています。サイクリングルートからも山の上の採石場が見えますし、島内を走っていると石材屋や加工工場が点在しているのに気づきます。
一方で、弓削島や岩城島、大三島、小大下島などでは、地質図の色がガラッと変わります。灰色や青色、橙色系の塗色——これらはかつて海底に堆積してできた堆積岩で、花崗岩マグマによって接触変成(熱々のマグマに接触して岩石の性質が変わってしまうこと)を受けています。貝殻などが堆積してできた石灰岩層も見られ、特徴的な白い岩肌を見せる山があるのもこうした地質によるものです。岡村島の江戸時代からの石灰採掘、弓削島での大正時代以降の石灰採掘はその代表例で、弓削島の石灰は新居浜の別子鉱山の精錬所にまで運ばれた重要な資源でした。
山の形にも理由がある
🚵自転車できつい場所にも理由あり
均質な花崗岩帯に見えるしまなみ海道の島々ですが、実は地質の違いが島の「山の形」にも出ています。花崗岩よりも風化・浸食に強い変成岩や粗い花崗岩が分布する部分は、周囲が削られても山として残り続けます。急峻な稜線を見せるこうした地形を「ルーフペンダント的な地形」と呼ぶことがあります。大三島の鷲ヶ頭山(標高436m)、生口島の観音山(標高472m)、岩城島の積善山(標高320m)、因島の奥山などがその代表例で、標高100m以上の急傾斜の山容を見せています。

逆に、断層があったり風化しやすい岩石が分布したりする場所は削られやすく、谷や海峡になります。来島海峡や鼻栗瀬戸といった瀬戸の地形も、こうした地質の差が生み出したものです。サイクリングで「ここは急な上り坂だな」と感じる場所や、「橋を渡るとまた山が迫ってくる」と感じる場所には、たいてい地質的な理由があります。
なぜ島が密集しているの?
⛰️せりあがった部分と落ち込んだ部分
芸予諸島と瀬戸内海の地形が今の形になったのは、およそ300万年前以降のことです。フィリピン海プレートの沈み込み方向が変化し、中央構造線を境に高知県側の大きなブロック(外帯)が西側にスライド。その力で内帯の南部(瀬戸内海がある場所)に地溝的な造山運動*が起こり、隆起する部分と沈降する部分が連続してできていきました。
*横ずれ断層に伴うシワ状の変形が生み出した地形であるという説もあり。

この隆起した部分が、塩飽諸島や芸予諸島を形作ることになります。地図を見ると、大島の東側や上島町の島々の海岸線や山が、同じ方向性を持っていることに気づきます。特に北東〜南西方向の断層海岸が顕著で、こうした場所はサイクリングコースの中でもアップダウンが厳しい上級者向けの区間と重なりがちです。また、島が密集しているおかげで橋を架けることができ、しまなみ海道という自転車道が生まれた——そう考えると、300万年前の地球の動きと今のサイクリングルートが繋がって見えてきます。
・断層:大地に力がかかって、岩石や地層がズレた割れ面。
・地溝:2つの断層の間の落ち込んだ地面の部分。
・断層海岸:断層運動によって形成された海岸線

2. 来島海峡の潮流が生み出すもの
瀬戸内海の「瀬戸」と「灘」
「瀬戸」は狭い海峡
🗺️瀬戸内海の地図を眺めてみよう
しまなみ海道の橋を渡るとき、眼下に広がる海は「瀬戸」と呼ばれる地形です。瀬戸とは島と島の間の狭い海峡のことで、かつては迫門(せと)や狭門(せと)とも書かれていました。字義通り「狭い門」のことです。
「灘」と呼ばれる浅く広い砂地の海とは対照的に、瀬戸は狭く深くえぐれた岩場の特徴的な地形を持ちます。潮流が高速かつ複雑であるため、海底の浸食も進み、海釜(かいふ)と呼ばれる特殊な凹地が形成されます。つまり瀬戸内海は、性格がまったく異なる瀬戸と灘という2種類の海エリアで成り立っているのです。

しまなみ海道の東側に広がる島が少ない広い海域は「灘」で燧灘(ひうちなだ)と言います。来島海峡、伯方島と大三島の間の鼻栗瀬戸、因島大橋がかかる布刈瀬戸——サイクリングで渡るほぼすべての橋は、この「瀬戸」を越えています。しまなみ海道のサイクリングは、島々と瀬戸を渡る旅とも言えますね。
来島海峡で今の潮流を知る
🌀橋の自転車道から複雑な潮流を体感
来島海峡は、1日に平均1000隻もの船が通航する日本屈指の交通の要所です。海流が複雑なため、世界でも唯一と言われる「順中逆西」という特殊な航法が適用されています。北流のとき、北に向かう船(順潮)は中水道、南に向かう船(逆潮)は西水道を使います。南流のときはその逆です。つまり「船が潮流に乗っているか・逆らっているか」によって通る水道を変えるルールになっています。

来島海峡には4か所の潮流信号所があり、大型の電光掲示板でリアルタイムに潮流の状況を船舶に伝えています。「N」は北流、「S」は南流を示し、数字は潮流の速度(ノット)、矢印はこれから速くなるのか遅くなるのかを示します。来島海峡大橋のサイクリングロードからも、この信号機がよく見えます。橋を渡りながら「今、この海はどっちに、どのくらいの速さで流れているのか」が読めるようになると、眼下の風景がまた違って見えてきますよ。
ちなみに今治市街を見渡す場所には、海上保安庁の来島海峡海上交通センターという施設があり、まるで空港の管制塔のように船舶の航行指導を行っています。橋の難所として知られる来島海峡は、古代から現代まで、航路の歴史を語るうえでも欠かせない場所です。
急流が鯛を旨くする
🐟しまなみ海道の鯛が旨いのには理由がある
「来島の鯛は急流の中を泳ぎ回るため身が引き締まって美味しい」しまなみ海道ではよく耳にする話ですが、これには科学的な裏付けがあります。
真鯛の旨味成分の主体はイノシン酸です。イノシン酸は、あらゆる生体が筋肉を動かす際のエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)が、魚の死後に筋肉内の酵素の働きで分解される過程で生成されます。つまり、筋肉をよく動かしているほど、筋肉内にATPが豊富であり、旨味も強くなります。急流の中で泳ぎ続ける来島の鯛が旨いというのは、単なる伝説ではなく、生化学的にも理にかなった話なんですね。


さらに、流れの速い瀬戸エリアには、底生生物(マクロベントスと言うそう)の個体数や種類が集中することがわかっています。実際の分布図を見ると、瀬戸エリアが灘エリアに比べて圧倒的に生態系が豊かなことは明確です。潮流が海底を掘り、砂などを運んでくることで、小島の陰に浅瀬や海底台地が形成されます。こうした浅瀬にはアマモなどの海草が育ち、鯛にとっての産卵場と豊かな餌場が隣接するという好条件が揃います。湧昇流による栄養塩類の供給でプランクトンも大量発生し、来島海峡を中心とする芸予諸島周辺の豊かな生態系の礎になっています。

地元ガイドが作製!しまなみ海道×アウトドアの本
しまなみ島走CAMP
📘しまなみの自然を五感で味わう。自転車×キャンプという選択肢
ここまでしまなみ海道の地質や植生、島々の自然についてご紹介してきましたが、「もっと深く、もっと長く、この自然の中にいたい」と感じた方に、ぜひ提案したい旅のスタイルがあります。自転車にキャンプ道具を積み込んで、島のキャンプ場に泊まる自転車キャンプ旅です。
しまなみ島走CAMP

📘しまなみ自転車キャンプ旅
シクロツーリズムしまなみが5年の歳月をかけて完成させたガイドブック『しまなみ島走CAMP』(定価1,650円・税込)は、しまなみ海道での自転車キャンプ旅に特化した一冊です。
自転車・キャンプ道具の選び方やパッキング術から、地元食材を使ったキャンプ飯レシピ、今治→大三島1泊2日・尾道→今治2泊3日などのモデルプラン、そしてしまなみ海道のキャンプ場9選まで、初めての方が戸惑わずチャレンジできるよう、ていねいに解説しています。無料で利用できるキャンプ場が点在するのも、しまなみ海道ならではのうれしいポイントです。

3. 旧石器時代から縄文海進まで
ナウマンゾウが歩いた瀬戸内海
今の瀬戸内海は「まだ若い」
🌅瀬戸内海が海じゃなかった時代があった
瀬戸内海の地形が形成されたのは約300万年前のことですが、実は現在のように豊後水道や紀伊水道で太平洋と、関門海峡で日本海とつながる完全な「海」になったのは、わずか1万年ほど前のことです。

愛媛に人が住みはじめた旧石器時代(約2万5000年前)は、最後の氷期にあたるヴュルム(ウルム)氷期のころ。空から降る雪は氷となって陸に積もり、海に流れ出ないため、海水面は現在よりも100〜130mほど低くなっていました。中国地方と四国地方、九州地方、さらにはユーラシア大陸までも陸続きになっており、今の瀬戸内海のあたりには「古豊予川」系の河川が流れていました。

その広大な陸地を、ナウマンゾウやステゴドン、オオツノジカといった大型動物が闊歩していた。伯方島や大三島、北条沖などでナウマンゾウの化石が発見されていて、しまなみ海道の寺院にはその歯の化石が保管されているところもあります。今、私たちが橋で渡っている海は、かつて象が歩いた大地だったのです。
島は、昔は「丘」だった
🏹草原を見渡す高台に住んでいた
旧石器時代の石器(ナイフ形石器)が、愛媛県の陸地部ではあまり見つからず、むしろ芸予諸島の島嶼部で多く見つかっていることは興味深い事実です。伯方島、大三島、生名島、弓削島などで、2〜3万年前と推定される打製石器が発見されています。素材はほとんどがサヌカイト(讃岐石)で、讃岐地方特有の安山岩の一種です。

当時の芸予諸島の島々は、広大な平野部を見渡せる「丘」あるいは「山」でした。狩猟を主に暮らす旧石器時代の人々にとって、見通しのよい高台は格好の生活の場だったのでしょう。今、自転車で渡っている島の上から海を眺めるとき、「昔ここは、草原を見渡す丘の上だった」と想像してみると、なかなかロマンのある気持ちになりませんか。
その後、氷期が終わって温暖化が進むと海水面が上昇し、「縄文海進」と呼ばれる現象が起きます。ピーク時の約6000年前には、現在よりも2~4mほど海水面が高かったとされています。今治平野はかなり狭かったことが想像でき、その後の海水面低下と長い年月の埋め立て・干拓によって、現在の今治の街の形が作られていきました。

4. 蒼社川・ため池・タオル産業をつなぐ「水」の話
山から海へ、水が作った今治
俯瞰するキーワードは「水」
☔高縄山に降った雨を追ってみる
この地域の自然と人の営みを全体像として捉えようとしたとき、「造船」「タオル」「鯛」「塩」など、面白そうなテーマがたくさん浮かんできます。ただ、それぞれを別々に眺めるだけでは、なかなか全体のつながりが見えてこない。試行錯誤の末に行き着いたキーワードが「水」でした。

高縄山系から今治平野、来島海峡へと至る一連のエリアを、水の流れに沿って見ていくと、自然の営みと人の営みがひとつながりの物語として見えてきます。山から平野へ、平野から海へ、海から海峡へ——その流れに沿って、この地域のキーワードがきれいに並んでいくのです。
蒼社川と今治平野の成り立ち
🌊度重なる洪水で出来た今治の平野
今治市の中心市街地が広がる今治平野は、高縄山系の東三方ヶ森(標高1233m)を源流とする蒼社川と頓田川の2本の川が、長い年月をかけて運んできた土砂が堆積した沖積平野です。

古くから大雨のたびに洪水を引き起こし、流路も何度も変わってきました。この「荒れ川」の歴史が、今治の広い平野を作ったのです。

蒼社川は全長19.4kmと短いながらも集水面積は約105㎢。上流では渓谷の様相を呈し、支流では炭酸塩成分が溶け出す冷泉環境が見られます(平安時代には道後温泉と同じく温泉だったという記録も)。中流の玉川町あたりまで降りてくると、河岸段丘を利用した棚田の風景が広がります。蒼社川沿いの道は上流から下流まで整備されていて、水の流れの浸食が作った地形を感じながらのサイクリングができます。

平野部の道路が、ほぼ直角に交わる碁盤の目のような構造になっているのにも気づくと思います。これは古代から中世前期にかけて行われた土地区画「条里制」の名残です。農業用水の整備も、この時代から今治藩によって計画的に進められてきました。
伏流水とタオル産業
🏭今治はなぜタオルの町になったのか
花崗岩は風化しやすく、削られた砂状の真砂土は急斜面では土砂崩れの原因にもなります。ただ、この花崗岩を通って自然に濾過された地下水が、今治の平野部では伏流水として湧き出す恵みをもたらしています。今治市内にはいくつかの場所で今も湧水が見られ、「打ち抜き」と呼ばれる自噴井も残っています。

この伏流水が、今治のタオル産業の礎を作りました。花崗岩で磨き上げられた軟水は、ミネラル分が少なく、綿糸の漂白や染色に非常に適した水質だったのです。今治市の染色加工工場が、蒼社川支流・浅川(江戸時代には「マサゴ川」と呼ばれた)周辺や泉川周辺に多く集まっているのは偶然ではありません。今も吉田屋染物店など木綿染工場が残るこのあたりは、水と産業の関係をリアルに感じられる場所です。
江戸時代後期には菊屋新助が改良した「高機」の普及によって白木綿の生産が今治の特産品に。明治〜大正にかけて細ネル(伊予ネル)産地として発展し、明治中期には実業家・阿部平助が泉州からタオル製造を今治に持ち込みます。大正〜昭和前期には「四国のマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市となり、現在の今治タオルブランドへとつながっていく。その出発点には、花崗岩の軟水という、この土地ならではの自然条件があったのです。
ため池とレンコン畑
🍅レンコンは今治の鳥生地区の名産
今治平野を自転車で走ると、乃万地区や清水地区、波止浜地区などの山地と平野の境界近くに、小さなため池がいくつも見つかります。温暖少雨な瀬戸内海式気候の地域では、灌漑に使える地表水が十分でない場所に計画的にため池が作られてきました。今治市内のため池の多くは江戸時代にはすでに整備されていたものです。


また、蒼社川と頓田川の間の海岸には、かつて幅700mほどの砂丘とその背後に広がる後背低地・湿地がありました。大正時代以降、この湿地を活用してレンコンの栽培が始まり、現在「鳥生レンコン」のブランドで知られる今治を代表する野菜になっています。7〜8月中旬ごろには、このあたりをサイクリングしていると、ピンク〜白色の花が咲くレンコン畑の風景を見ることができます。川が作った地形がそのまま農業に活かされているわけで、こういった場所でペダルを止めて周りを眺めてみると、思いのほか発見がありますよ。

5. 製塩の歴史が島の地形を変えた
塩田の跡地を自転車で探す
古代から続く製塩の歴史
🧂瀬戸内海を知る上で重要な「塩づくり」
岩塩が産出しない島国の日本では、古代から海水を煮詰めて塩を作ってきた歴史があります。佐島の宮ノ浦遺跡では古墳時代の土器製塩の跡が発見されていて、当時は脚台式製塩土器と呼ばれる土器に海水を入れて煮詰め、途中で何度も海水を継ぎ足しながら濃度の高い塩水を作り出す方法がとられていました。

海水の塩分濃度は一般的に3.4%程度しかありません。1リットルの海水からとれる塩は小さじ7杯ほど。大量の塩を得るためには大量の薪が必要で、これが古代において塩が非常に貴重だった理由のひとつです。

その後、平安時代ごろから「揚浜式」が広まります。砂浜に人力で海水を撒き、天日で乾燥させることを繰り返して塩の結晶が付いた砂を作り、そこに海水を通すことで高濃度の塩水を作り出す方式です。煮詰める前段階を天日でまかなうことで、大量の薪が省けます。日照時間が長く、穏やかな砂浜のある瀬戸内海は、まさに塩づくりに適した環境でした。
入浜式という江戸時代の発明
手作業から自然の力を使った方法へ
そして江戸時代初期に本格的に開発されたのが「入浜式」塩田です。潮の満ち引きを利用して塩田へ海水を引き込み、砂の毛細管現象で塩田全体に行きわたらせる……自然の力を使ったオートメーション化です。人が桶を担いで何度も海と塩田を往来する必要がなくなりました。堤防を築く土木技術の発達があってこそ可能になった方式でもあります。
この入浜式が先駆けとして発達していたのは広島県竹原市の塩田(1646年以降)で、このノウハウを今治に持ち込んだのが長谷部九兵衛(生年不詳~1709年)という人物。1683年に波止浜塩田を開設し、伊予国で最初の入浜式塩田となりました。その後、大島の神倉塩田(1700年)、伯方島の古江浜(1861年)、北浦・瀬戸浜の塩田もこの時代に作られています。瀬戸内の塩田が江戸時代に全国の製塩高の8割以上を誇ったとされる「瀬戸内十州塩」の一端を、芸予諸島の島々も担っていたのです。
島の海岸線を変えた塩田
🚲塩田の跡地を探してサイクリング
入浜式になっても最終的には釜で煮詰める必要があり、大量の薪が必要でした。島の山林から薪を調達するにも限界があるため、生産量の増加とともに外部から燃料を調達することになります。こうして江戸時代後期には、塩田地主は造船や海運といった事業も含む多角的経営へと転換していきます。現在も海運業が盛んな今治市波方の企業の多くが、こうした歴史をルーツに持っています。造船とタオルの町として知られる今治の産業史は、実は「塩」から始まっているとも言えるのです。

明治以降、専売制のもとで段階的に塩業整備が繰り返され、戦後には浜子の労働力を必要としない流下式へ、さらにイオン膜方式へと転換。このタイミングで、日本からほとんどの塩田が消えていきました。伯方の塩は特殊な条件のもとで存続しましたが、流下式塩田は残せず、現在は輸入塩を使う形での製造です。

かつての伯方塩田(古江浜・瀬戸浜・北浦)は76haという広さで、愛媛県の塩田の代名詞的存在でした。廃止後の塩田跡地は、車エビやゴカイの養殖場、造船所、スポーツ施設など、それぞれの形で活用されています。神倉、宗方、口総、岩城、生名の塩田跡も同様です。サイクリングでこうした塩田跡地を意識して走ってみると、「なぜここに平坦な土地があるのか」「なぜ海岸線がこんな形になっているのか」の答えが見えてくるはずです。


地学専攻のスタッフが見つけた「もうひとつの景色」
しまなみ海道を走るということ
🔍美しい景色の、その裏側まで楽しむ
来島海峡大橋の上で眼下に広がる急流、大島の急傾斜の山、伯方島のフラットな塩田跡地、今治の路地に残る染物工場。これらはすべて、バラバラな観光スポットではなく、山から海へと流れる水の物語の中にある一場面です。9400万年前のマグマが作った花崗岩の大地に、1万年前の縄文海進が島の輪郭を描き、江戸時代の人々が塩と水を活かして産業を育ててきた……。

自転車旅行の醍醐味のひとつは、クルマや電車では気づかないものを発見できることだと思っています。「思いのほかアップダウンがあるな」「この海峡、ものすごい速さで潮が流れているな」「なんでこんな平坦な場所が島の真ん中にあるんだろう」そんな些細な疑問を深めていくと、景色の裏側にある理由や歴史が見えてきます。
🔍諸説あることもご了承ください…
この記事を書くにあたっては、地質学・地形学・海洋学・歴史学・民俗学などさまざまな文献に当たり、現地の地質露頭や塩田跡地、河川の旧流路なども自転車で巡りました。「造船」も「タオル産業」も「鯛の旨味」も、地域の自然と人の営みを一つのストーリーとしてみていくと面白いです。

ぜひ実際にしまなみ海道を走りに来てください。橋の上から見える潮流信号を確認して、鷲ヶ頭山の急峻な稜線に地質の違いを読んで、伯方島のフラットな海岸線に塩田跡地を想像してみましょう。「景色がきれいだった」という感想の先に、もうひとつの豊かな旅が、きっと待っています。
※この記事は「自転車でつなぐ山・里・まち・海プロジェクト しまなみネイチャーガイド教本」を再編集したものです。

✍🏻筆者について

大学時代にサイクリング部に所属したのをきっかけに、自転車一人旅にどっぷりはまる。自転車旅で訪れた瀬戸内に魅せられ、故郷の静岡から移住。NPO法人シクロツーリズムしまなみでポタリングガイドとして活躍中。 専門は地球科学。ブログ『銀輪記』筆者。
【論文等】
四国北西部高縄半島に分布する領家帯花崗岩類の岩石学的研究 下岡和也ほか
瀬戸内領家帯弓削島産Titano-type角閃石について 西尾大輔ほか
四国西部白亜系の砂岩組成と堆積環境 (変動帯における砕屑岩類の組成と起源–日本列島を例として) 鹿島愛彦
瀬戸内海西部, 芸予諸島の後期中新世火山岩類 (芸予火山岩類) 及び前—中期中新世火山岩類 (瀬戸内火山岩類) について 妹尾護ほか
四国高縄半島, 領家変成岩の地質時代 鹿島愛彦
瀬戸内南岸沖積平野の地質学的研究 栗原権四郎
芸予諸島東部 大三島鉱山および周辺地域の山陽帯花崗岩類のモナズ石のCHIME年代測定 佐藤桂ほか
瀬戸内海の海底地形 桑代勲
燧灘西部海域の海底断層と砂堆の形状について 塩屋藤彦ほか
瀬戸内海の潮汐・潮流 柳哲雄ほか
瀬戸内海の海釜地形に関する研究 八島邦夫
瀬戸内海における海岸景の変遷 西田正憲
芸予諸島海域におけるマダイ標識放流個体の移動と潮汐流との関係 高場稔ほか
米と魚からみる港町の食生活: 芸予諸島大崎下島御手洗における行商人と米穀商について 渡部圭一
瀬戸内海の生いたちに関する 2, 3 の問題: 鍋島水道を例にして 星野通平ほか
瀬戸内海の沖積平野 桑代勲
讃岐ジオパーク構想 長谷川修一ほか
瀬戸内海はどのような海か 柳哲雄
瀬戸内海の海底環境 柳哲雄
瀬戸内海の自然と環境 柳哲雄
竹原の塩田: 瀬戸内塩田の変貌 安原公司
広島県竹原市における製塩業盛衰の歴史 松澤希
瀬戸内海, 大畠瀬戸 (山口県) の海域環境と海釜地形・地質 安間恵ほか
河村瑞賢による西廻り航路の港について 土屋潤ほか
わが国における沿岸航路の形成 東皓傳
地形・地質から見た鳴門海峡の成立 西山賢一ほか
サヌカイト類にかんする 2, 3 の知見 山口勝
温泉の化学 今橋正征
河岸段丘から推定した河床高度変化の歴史 高木俊男ほか
四国西部の環境地質学的研究-9-地すべり変動体と海岸・河岸段丘の相互関係について 鹿島 愛彦
ため池の窒素· リン濃度と集水域の土地利用 中曽根英雄ほか
ため池の水草におよぼす環境の影響 下田路子
瀬戸内海流域の水環境―里水― 新見治
愛媛県今治市, 伊予国一宮, 大山祇神社の由来と文化 沢勲ほか
幕末期の四国遍路の巡礼路の変更 稲田道彦
治山事業の保全効果に対する評価方法の検討 (II): 蒼社川地区民有林直轄治山事業の事例 (防災) 陶山正憲
ヒアリング報告: 今治タオル産地と四国タオル工業組合 町田俊彦
シリーズ「地域繊維産業」 6.今治タオル 石丸祥司
今治平野の条里と伊予国府 片山才一郎
山地流域の洪水流出に関する研究 Ⅱ 鎌田萬
都市環境はいかにシビックプライドを高めるか 今治市を事例とした実証分析 伊藤香織
1960 年代以降の日本の二大タオル産地 (今治・泉州) における技術的変遷と特許出願状況 辻智佐子
地場産業の産地維持とブランド化: 愛媛県今治タオル産地を事例として 塚本僚平
「今治タオル」 の現状と今後 藤高豊文
しまなみ海道におけるサイクルツーリズム振興の一考察―その広域連携の構造と機能について― 望月徹
しまなみ海道サイクリングロードにおけるサイクリストの周遊行動特性――国内在住のサイクリストを対象として―― 田中春良ほか
ビジネスケース: しまなみ海道の観光資源化 中尾光ほか
花崗岩のマサ化のメカニズムと斜面崩壊 北川隆司
海岸低地の地下水 伊予西条平野の場合 市瀬由自
ゴウシュウマダイの ATP 関連物質の消長とイノシン酸分解酵素活性 根立恵子ほか
各種魚肉の K 値変化速度とイノシン酸分解酵素活性 冨岡和子
マダイの死後硬直と貯蔵温度との関係 岩本宗昭
養殖マダイの肉質に対する遊泳運動の効果
【書籍等】
四国高縄半島の領家花崗岩類 越智 秀二
愛媛県史 地誌Ⅰ(総論) 愛媛県史編さん委員会編
愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部) 愛媛県史編さん委員会編
愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部) 愛媛県史編さん委員会編
愛媛県史 社会経済3 商工 愛媛県史編さん委員会編
瀬戸内の島々の生活文化 愛媛県生涯学習センター
和食はなぜ美味しい 巽好幸
環境教育テキスト 瀬戸内海-里海学入門 瀬戸内海環境保全協会
「北前船とその時代」展 図録 中国海事広報協会
景相生態学 ランドスケープ・エコロジー入門 沼田眞
せとうち暮らし vol 8 summer 2012 Roots Books
船の旅 瀬戸内海 徳山静子・甲斐康夫共著
いまばり博士 いまばり検定公式ガイドブック 今治商工会議所
愛媛県の歴史 県史シリーズ38 田中歳雄
愛媛の考古学 長井数秋
愛媛の島々の自然 愛媛県立博物館
【ウェブサイト等】
愛媛県庁公式ホームページ https://www.pref.ehime.jp/
愛媛県歴史文化博物館 https://www.i-rekihaku.jp/
愛媛県総合科学博物館 https://www.i-kahaku.jp/
愛媛県教育委員会 https://ehime-c.esnet.ed.jp/
愛媛大学 https://www.ehime-u.ac.jp/
今治市ホームページ https://www.city.imabari.ehime.jp/
西条市ホームページ https://www.city.saijo.ehime.jp/
JB本四高速 https://www.jb-honshi.co.jp/
鈍川温泉組合 https://www.nibukawa.net/
愛媛新聞オンライン https://www.ehime-np.co.jp/
国土交通省 中国地方整備局 https://www.cgr.mlit.go.jp/
国土交通省 四国地方整備局 http://www.skr.mlit.go.jp/
国土地理院 https://www.gsi.go.jp/
産総研 地質調査総合センター https://www.gsj.jp/
国立科学博物館 https://www.kahaku.go.jp/
環境省 中国四国地方環境事務所 https://chushikoku.env.go.jp/
愛媛大学大学院農学研究科附属ハダカムギ開発研究センター https://www.agr.ehime-u.ac.jp/
ジオリブ研究所 巽好幸 https://note.com/geolive_lab
せとうちネット 環境省https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNet/seto/index.html
岡山県古代吉備文化財センター https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/
東広島市自然研究会 http://benriyamoku.lolipop.jp/
地球資源論研究室 http://earthresources.sakura.ne.jp/er/
海の路 瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会 https://www.uminet.jp/
ブルーシグナル JR西日本 https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/
ひろしま文化大百科 http://www.hiroshima-bunka.jp/
新潟文化物語 https://n-story.jp/
日本海事広報協会 https://www.kaijipr.or.jp/
海洋政策研究所 https://www.spf.org/opri/
海上保安庁 https://www.kaiho.mlit.go.jp/
伯方塩業株式会社 https://www.hakatanoshio.co.jp/
中国地質調査業協会 http://www.chugoku-geo.or.jp/


